NO パパス NO ライフ~スタッフブログ~

パパステニスクラブのスタッフによるブログです。テニス以外の投稿が目立ちますが(笑)、是非ご一読ください!!

清水はなぜテニスに携わる仕事をしているのか~テニス転機編~

みなさん、こんにちは!

 

満を持して、いや重い腰を上げて(笑)、ようやく私、清水雄一の自己紹介をさせていただきたいと思います!!

 

これまでの各スタッフの自己紹介とは少し違った形で、みなさんに清水雄一とはどういう人物なのか、どういった経緯で現在に至っているのか、をお伝えしたいと思います。

 

絵文字も写真もなく視覚的につまらないものになっているかと思いますが、内容と量で勝負させていただこうと思いますので、ご容赦ください。

 

さて、さっそく始めたいと思います!

 

 

ますは、「テニス転機編」です

 

私がなぜテニスを始めたのか、そしてどのようにしてテニス人生がスタートしていったのかをお伝えします。

 

少し長くなりますが、暇つぶし程度にご覧ください。

 

 

~テニスを始めるきっかけ~

母親が趣味でテニスをしていたことがきっかけで、中学2年生の夏にテニス部に入部。

それまではサッカー部の幽霊部員で、ゲーマーでした(笑)

途中からの入部だったため、当然実力は最下位(+_+)

お世辞にもセンスがあるとは言えず、走りも遅く、軽くいじめを受けるような存在でした。

初めて中2の秋にダブルスで公式戦に出ましたが、もちろんあっという間の初戦負け。

ごく平凡な中学生でした。

 

 

~転機~

そんな平凡な私に転機が。

 

それは…

 

中2の1月末の体育の授業で起きました。

 

授業内容は持久走。

足の速くない私はちんたら校庭を走っていました。

 

と、その時!

 

 

 

ドクン!!?

 

 

 

 

なんだ!!!?

 

 

 

 

気のせいか!!!??

 

 

 

 

と思ったら、なぜだか体がどんどん左へ流れていく( ゚Д゚)

 

 

 

 

どんどんどんどん左へ…

 

 

 

 

これはまずいと思い、いったん倒れることに。

 

 

 

 

気づけば校庭のど真ん中。

 

 

 

 

深呼吸をして、まずは左手を出して…

 

 

 

!!!?

 

 

 

まさかの顔面から地面に落ちました( ゚Д゚)

 

 

 

要するに、頭では左手を出していたのに、実際に左手が出ていなかったということです。

 

 

 

 

すぐさま保健室へ運ばれ、いったん休むことに。

 

 

 

 

友達が制服を持ってきてくれて、着替えて早退することに。

 

 

 

 

なんとか体育着を脱ぎ、ワイシャツに左手を通そうとした瞬間!

 

 

 

 

友達の顔が急変しました。

 

 

 

 

友達:「おい、清水。お前そんなんじゃ着替えられないだろ。ふざけてるのか。」

 

 

 

 

清水:「いやいや、何言ってるんだよ。ちゃんと着替えてるじゃん。」

 

 

 

 

!!!!???

 

 

 

 

左手をワイシャツの袖に通しているはずなのに、肩から一生懸命ワイシャツの袖に入れようとしている自分がいる!!!???

 

 

 

これはさすがにまずいと思ったのか、救急車を呼ぶことに。

 

 

 

と同時に吐き気をもよおしました。

 

 

 

これで察した方はいるでしょう。

 

 

 

そうです。

 

 

 

 

私は中学2年生にして…

 

 

 

 

脳梗塞」を患いました。。。。。

 

 

 

 

すぐさま救急搬送され、受け入れてくれる病院へ。

(車内で受け入れを何か所か断られているのを聞いていました)

 

 

 

 

ガラガラガラガラ…

 

 

 

よくテレビで見かける救急搬送されるシーン同様、移動式ベッドで集中治療室に向かうときに女性の看護師さんが私に話しかける!

 

 

 

看護師さん:「ねえ、きみ!」

 

 

 

清水:「はい!」

 

 

 

看護師さん:「ズボン脱がすよ!」

 

 

 

清水:「えっ!??はい!」

 

 

 

 

!!!????

 

 

 

 

ズボンだけかと思いきや、まさかのパンツまで脱がされました(ToT)/~~~

 

 

 

 

まぁそれはさておき、集中治療室へ。

 

 

 

 

先生が私の足元でなにかをしている。

 

 

 

 

どうやら足の付け根を切ってなにかを入れている!?

 

 

 

 

そして先生がなにかをしている。

 

 

 

先生:「これで左手動く!?」

 

 

清水:「動きます!」

 

 

先生:「これはどう?」

 

 

清水:「動きません( ゚Д゚)」

 

 

というやりとりをして、その後は酸素カプセルの中に入れられ、そこから出たらすぐ寝てしまいました。

 

 

目を開けたら、目の前にたくさんの人の顔が!

 

 

両親、学校の先生、病院の先生、友人など。

 

 

目覚めたらほとんど体に違和感はなく、普通に話せて、私も周りの人たちも安心していました。

 

 

不謹慎なことに、こうなる半年前に祖父が脳梗塞で倒れ言語障害が残っているのを目の当たりにしていたので、正直私の青春時代は終わったなと思いました。

本当にほっとしました。

 

 

倒れてから2,3日で体は正常な状態に戻りましたが、原因がわからないということで約1か月入院することになりました。

(このときの入院編は番外編としてリクエストがあれば掲載検討します笑)

 

 

1か月ぶりに行った学校では皆に温かく迎えられ、体育の先生も「持久走は歩いてくれ。歩いてくれるだけでそれなりの成績だすから!」と、たくさん気遣いいただきました。

 

 

しかし、本当に元気いっぱいだった私は先生に「1度だけ思いっきり走らせてください!」と懇願し、しぶしぶ了承を得ました。

 

 

さぁ約2か月ぶりに全力で走る!

 

 

これまでは全力で走っても記録は全体の中の下。

 

 

そんなことよりも全力で走れる喜び!

 

 

スタート!

 

何事もなくゴール!

 

ほっとしたとともに、驚くべきことが!!!

 

なんと…

 

 

 

タイムが…

 

 

 

倒れる前よりも…

 

 

 

3分以上早くなってるー!!!!!

 

 

 

1周450メールの校庭を5周する持久走。

 

 

 

1周につき約30秒以上速くなってる!!??

 

 

 

そうです、これをきっかけに私のテニス人生が始まりました。

 

 

 

次回は「テニス覚醒編」です。

お楽しみに☆